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童謡 「赤い靴」の少女 [追憶]

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9月15日は、「赤い靴」の女の子・きみちゃんの命日です。
『紅葉シリーズ』の途中ですが、投稿します。


童謡「赤い靴」歌詞 野崎雨情 1945年1月27日没 …著作権消滅
1.赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった
2.横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って
異人さんに つれられて 行っちゃった
3.今では 青い目に なっちゃって
異人さんの お国に いるんだろう
4.赤い靴 見るたび 考える
異人さんに 逢(あ)うたび 考える


野口雨情は1907年(明治40年)に札幌の北鳴新聞社に勤めていたときに
岩崎かよという女性と知り合った。
「定説」によると、
この岩崎かよの娘・佐野きみ(1902年7月15日 - 1911年9月15日)が
その赤い靴を履いていた少女のモデルとされた(「佐野」は戸籍上の名前)

https://youtu.be/TtNRj1pAH3A




 童謡「赤い靴」のモデルとされる赤い靴はいてた女の子像。
2009年、母と別れた地といわれる函館に設置された。
像の作者は函館出身の彫刻家・小寺真知子さん。

「赤い靴」の少女、本名「きみ」ちゃんである。
今から120年ほど前の1902年私生児として生まれ、翌年母親と函館に渡る。
2歳の時に母親は再婚し、開拓ために入植するが、
病弱な「きみ」は入植には耐えられないと判断、米国人宣教師の養女となる。
「きみ」6歳の時、その宣教師に帰国命令が出て、結核に侵されていた「きみ」は
東京麻布十番の鳥居協会の孤児院に預けられる。
3年間の闘病生活の後、きみちゃんは9歳で天国に召される。

赤い靴はいてた女の子 異人さんにつれられて行っちゃった
今では青い目になっちゃって 異人さんのお国にいるのだろう    
…(著作権消滅により記載)

 きみちゃんが亡くなって10年後、母親が再婚した鈴木某の知人、野口雨情によって
『赤い靴』が作詞されるが、母親も野口もこの事実を知らず、
「きみちゃん」はアメリカに渡ったと思っていた。
  
 時は下り、1973年父親違いの妹岡そのが北海道新聞社に『姉の赤い靴の女の子』の
その後の消息を調べて欲しいと投稿、北海道テレビの記者・菊地寛が、
5年に亘り女の子の実像を調べ追跡結果を1979年に出版して
事実が公表されることになります。


 きみちゃんの亡くなった孤児院、それは明治10年から大正12年まで麻布永坂にあった
鳥居坂教会の孤児院でした。
今、十番稲荷神社のあるところ、旧永坂町50番地にあったこの孤児院は
女子の孤児を収容する孤児院でした。

一番上の写真は、函館港に設置された「赤い靴の少女像」。

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東京麻布十番の少女像

c-azabu267.jpg
説明

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「きみちゃん」像

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孤児院があった稲荷神社

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同上

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 ちなみに、横浜の山下公園の少女像は、童謡の赤い靴をイメージしているそうです。


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